蒸気機関車が走った明治7年から、充実した都市機能のまちに変貌を遂げた大阪駅

大阪駅

大屋根に象徴される第5代大阪駅 平成22年(2010)~

大阪駅

大阪駅北地区(総面積24ha)は、都心に残された最後の一等地といわれ、平成11年(1999)頃からの産・官・学が連携して開発を進められてきました。平成15年10月には「大阪駅北地区全体構想」が発表され、水と緑を取り入れた国際都市をめざすなどのまちづくりの方向性が示されました。さらに、平成16年(2004)3月に「大阪駅北地区まちづくり推進協議会」が発足し、7月には、全体構想を肉付けした形で「大阪駅北地区まちづくり基本計画」が策定されました。こうしたまちづくりの動きに合わせ、JR西日本では大阪駅の検討を進め、平成15年(2003)12月に「大阪駅改良・新北ビル開発計画」、平成17(2005)年には「大阪駅南側広場整備・アクティ大阪増築」計画を発表しています。そして、平成23年(2011)5月4日に、第5代大阪駅(大阪ステーションシティ)がノースゲートビルディングの開業をもってグランドオープンしています。これに先だって、3月16日にサウスゲートビルディング、4月11日に橋上駅舎(連絡橋口)が開業しました。駅整備とまちづくりの視点に立って、「抜本的な駅改良」「広場・通路の整備」「新北ビルの開発」「アクティ大阪増築」を4つの柱に、「駅とまちがひとつに。感動と発見にあふれた、新しい大阪駅の創造」をめざしています。


初代大阪駅 初代大阪駅

木造レンガ張りの洋風建築で大阪随一の名所に初代大阪駅明治7年(1874)~明治32年(1899)
初代大阪駅は明治7年5月11日に開業し、梅田に初めて蒸気機関車が走りました。計画から開業に至るまでは紆余曲折がありましたが、2年前に開通した東京~横浜間に次ぐ2番目の開通として歓迎されました。
駅名は「大阪駅」でしたが、ステーション(station:英語で駅の意味)を「すてんしょ」と読んで、「梅田すてんしょ」という愛称で親しまれました。


第2代大阪駅

石張りの豪壮なゴシック建築でたちまち人気沸騰第2代大阪駅明治34年(1901)~昭和10年(1935)
第2代大阪駅は明治34年7月1日にほぼ現在地に開業しました。日本銀行大阪支店と泉布館と並ぶ「大阪の三名所」と称され、多くの見物客で賑わいました。駅の構内販売のサービスなども行われ、駅前に旅館や土産物屋などが増え、現在の駅前の萌芽が見られるようになりました。昭和3年(1928)に貨物機能が梅田貨物駅に集約されています。人力車などが増えて広場の様相を呈するようになりました。


第3代大阪駅

戦況の悪化で一時中断するも重要な役割を担う第3代大阪駅昭和15年(1940)~昭和54年(1979)
第3代大阪駅は昭和15年6月1日に開業しました。当初は地上5階建でホテルも併設した旅客専用の高架駅をめざしましたが、太平洋戦争の戦況悪化による資材不足などで変更を余儀なくされました。駅前広場の整備や区画整理、地下鉄建設、私鉄ターミナル改造など、国・市・周辺自治体・私鉄・民間を巻き込んだ大規模な事業でした。


第4代大阪駅

商業施設機能を有する総合ターミナルビルとなって第4代大阪駅昭和54年(1979)~平成22年(2010)
第4代大阪駅は昭和54年12月15日に開業しました。百貨店・ホテル・旅行サービス機能等を取り入れた地下4階・地上27階、延べ床面積13.6万m3の総合ターミナルビル事業でした。昭和58年(1983)に大阪ターミナルビル(愛称アクティ大阪)が開業し、大阪の玄関口にふさわしい「顔」と「機能」を有する近代的なターミナルとなりました。



ページの上部へ