公共施設
曽根崎警察署曽根崎二丁目16番14号庁舎は阪急前交差点の南東角にある曽根崎警察署は、昭和48年(1973)5月に現在地に庁舎を改築竣工しています。地下には広報拠点となる「コミュニティープラザ」(愛称:コミプラ)があり、地下街の『ホワイティうめだ』から直接出入りできるようになっています。
曽根崎にある交番
大阪中央郵便局梅田三丁目2番4号旧局舎跡地で業務を行っています。老朽化と土地の有効利用ということで、民営化に際して高層ビルに建て直し、隣接するJR西日本所有のアクティ西ビルと大弘ビルを併せた3施設(約1.3ha)を一体的に建て替える事業「梅田三丁目計画(仮称)」が進んでいます。
ちなみに旧局舎は昭和14年(1939)に竣工した、戦前期の大阪モダニズム建築の代表作です。郵便局建築の傑作と称されていましたが、平成21年(2009)に郵便局としての業務を終了しています。
JR大阪駅梅田三丁目1番1号西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)の3 路線が乗り入れる西日本最大の駅です。明治7年(1874)に開業して以来、大阪の北玄関として毎日多くの乗降客を迎えています。付近には地下鉄や私鉄があり、それぞれの駅が近接して設けられています。ちなみに「大阪駅」と名乗っているのはJRのみです。
大阪中央病院梅田三丁目3番30号全国の健康保険組合で組織する健康保険組合連合会が運営する病院です。旧大阪中央病院は曽根崎二丁目にありましたが、平成12年(2000)2月末に建物の完成を迎え、6月5日に現在地に新築移転しています。
民間施設
曽根崎警察署内に開庁した「北消防署」明治42年(1909)のキタの大火で市街地防火の世論が高まり、翌年に曽根崎警察署内に大阪府北消防署が開庁されました。本署および11勤務所で大淀区、北区、東淀川区、城東区、旭区、都島区の6区と福島区の一部を管轄しました。明治45年(1912)に新庁舎を竣工(木造2階建て)、大正15年(1926)に庁舎が改築(鉄筋3階建て)されています。昭和23年(1948)に消防組織法が施行、自治体消防が発足したことで警察から分離され大阪市に移管されました。昭和38年(1963)に現庁舎(北区茶屋町19番)に新築移転しています。
商業施設
大阪駅前ビル梅田一丁目1番1号~4号大阪市都市開発局による大阪駅前再開発事業により建設されたビル群で、第1ビルから第4ビルまであります。上層階はオフィスとして利用され、地下のテナントが八百屋から中古レコード店、古書店、パチンコ店まで多彩な業種の店舗が開業当初のまま残っているのが特徴です。都心の一等地であり、テナントも多いことからコンビニや飲食店が増えてきています。
大阪駅前第1ビル昭和45年(1970)に完成。地上12階地下4階。飲食店から各種店舗、企業が入っています。また、屋上には正一位福永稲荷大明神が鎮座しています。
一位福永稲荷大明神大阪駅前第1ビル
約600年前に土地の豪族が一家の守り神として祀ったのが始まりといわれています。昔から地元の人々に親しまれ、大阪大空襲で羅災しましたが旧地に再建され、その後この場所に移転されました。
大阪駅前第2ビル昭和51年(1976)に完成。地上16階地下4階で、大阪市立総合生涯学習センターや6階に大阪市立大学梅田サテライト・大阪市立大学文化交流センターや7階には大阪市梅田市税事務所などが入っています。また、屋上には徳兵衛大明神が鎮座しています。
徳兵衛大明神大阪駅前第2ビル
曽根崎川(蜆川)のほとりあった荒れた祠を徳兵衛が再建し、毎日合掌していたところ霊験あらたかな祠になったという伝承が残っています。祠が再現されて現在の地に移されています。
大阪駅前第3ビル昭和54年(1979)に完成。地上33階地下で、オフィスやクリニック、大学のキャンパスが入っています。4階、3階~17階オフィス、18階クリニックフロア、19階大阪産業大学梅田サテライトキャンパス、20階~21階多目的フロア、22階~31階オフィス、32階~33階レストラン・展望室となっています。
大阪駅前第4ビル昭和56年(1981)に完成。地上25階地下4階 塔屋2階で専門学校やカルチャークラブが入っています。オフィスだけでなく日米英語学院梅田校や産経カルチャー倶楽部教室なども入っています。また、宝くじ特設販売で知られています。毎月第1金曜日は『占いだよ!全員集合』が開催されています。
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