梅田のまちに遺跡があった!

曽根崎遺跡曽根崎遺跡の調査地は、曽根崎二丁目の元・大阪北小学校(旧曽根崎小学校)用地内にあたり、平成22年(2010)5月17日から準備工事が開始され、7月23日に現地作業を終了しました。調査では当地が陸化する過程の把握のほか、中世後期以降の作土層を検出しています。また、周辺調査との比較検討、中世における景観の復元が試みられました。

曽根崎遺跡

調査に至る経緯新御堂筋を挟み300mほど東には太融寺が位置しており、一帯は「安曇寺跡推定地」とされています。太融寺は弘仁12年(821)に弘法大師により創建された高野山真言宗の寺院です。平成17年(2005)にこの地で初めて発掘調査が行われ、鎌倉時代前半の溝・土墳・貝塚などの遺構や瓦、国産陶器・中国製輸入磁器などが豊富に出土しています。このことで少なくとも中世に遡る有力寺院が存在していたことが裏付けられました。事前に行った試搬調査で中世の地層が確認されたため、今回の調査を実施することとなりました。

調査の経過と手順調査は2回に分けて行われ、南北26m、東西21.5mの範囲で行われました。まず重機で近・現代の地層を掘削した後、人力によって掘削しました。調査の過程では、適宜、遺構検出作業や実測・写真撮影といった記録作業を行いながら調査が進められました。

調査の結果弥生時代にはこの地が川辺で、鎌倉時代までに湿地となり、室町時代には耕作地となっていたことが判明しました。耕作に関係する遺構として、犁(すき)で耕した痕跡や溝などが見つかっています。東側にあった寺院に付属する畑だったとも考えられます。その後、耕作地としての利用は江戸時代を経て明治時代まで続きました。
今回の調査によって、繁華な梅田周辺の街並みがどのように形成されてきたのか、その足取りを追うことができる貴重な成果が得られたといえます。

曽根崎遺跡

参考資料:大阪市北区曽根崎遺跡発掘調査報告(財団法人 大阪市博物館協会 大阪文化財研究所)


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